父へ

お引越しを機会に


私の父は、戦後間もないころ、貧しく(誰もがそうだったと思いますが)、田舎から出てきた両親と8人の幼い兄弟の面倒を、一人の収入で支えていました。
働き過ぎからか、19歳の時に腎臓の摘出手術(多分、腎臓結核)を受け、その時の輸血が元でC型肝炎に感染したと思われます。それからは、入院退院の繰り返しで、20年以上はベッドの上にいたのではないでしょうか。
その当時は非A非BもC型肝炎という言葉もなく、慢性肝炎の治療は、安静と栄養といわれる時代でした。特に治療がないまま、何十年も入院することがどんなに苦しかったか?働き盛りに仕事も出来ず、来る日も来る日もベッドの上の絶対安静、どれだけ辛かったか 察することすら出来ません。

8年ほど前、私がC型肝炎であることがわかったときは、本当に悲しそうな顔をしていました。、何でこんなとこだけ似るんだろうと悔しかったことでしょう。きっと私に申し訳なく思ってたみたいです。もちろん父のせいではあるはずもなく。
60代の終わりには、体調もまずまずで、孫を連れてアメリカに住む妹のところに行ったり、それなりに楽しんでいました。一生のうちで1番安らいでいた頃。


70を過ぎてから体調を壊し、入院、この時運良く?静脈瘤が破裂して命拾い。入院中じゃなかったら、間違いなく助からなかったとの事でした。主治医に「あと4年は大丈夫」と太鼓判?を押され、自分のことは自分でやって、一人で暮らしていました。
日課は、この日の天気、気温、体温、日経平均、それから家計簿。

私も、子育てに忙しく、たまに電話した時、
「肝臓どう?」
親子の話題に必ず肝臓というキーワードが出てくるのは家だけではないでしょうか。

それでも身体は少しづつ悪くなっていたのでしょうね。

お正月、一緒に祝った後、無理やり妹を埼玉から呼びつけ、温泉にいったまま、本当に逝ってしまいました。温泉のお湯につかり自分の身体をきれいにして。誰にも世話にならず(父の口癖)
きっと、父はこのままいくと近い将来入院ということがわかっていたのでしょう。つらい治療はもうしたくないとも言ってました。無理を言う人ではなかったので周りが驚きました。去年の1月の事でした。

内心、よかったと思いました。
「これで、肝臓との戦いがおわったね。よかったね」といいながら送りました。

60年、人生のほとんどを、病気と闘った父、それも何も言わない臓器 肝臓。
父にとって肝臓病と闘うことが、まさにに生きてる証だったとおもいます。(拝借しました)


今の治療で、一人でも多くの方(私も)が完治される事を望みます。
また、仮に著効に到らなくても昔よりずっと、医学も進歩し、情報もたくさんあります。
またやり直せる、明るい未来はきっとある、そんな気持ちでこの治療に臨んでいきたいと思っています。

長々と未熟な文ですみません。これからもよろしくお願いします。